社会福祉士国家試験の勉強の必要な「海外の歴史」を確認しましょう

現代社会と福祉

日本の歴史はもちろん、社会福祉や社会保障の海外の歴史が出題されます。今日はまず初学者編として、これだけは覚えようという流れをまとめました。

日本の歴史についてや、歴史の覚え方はこちらをご参考になさってください。

1600年代~1700年代

16世紀後半になると(1950年代後半)ロンドンで、地方から流入してきた貧困者が増加してきました。当時のエリザベス女王は、1601年にエリザベス救貧法を制定しています。

働けない貧民はプアハウス(救貧院)に収容し、働こうとしない貧民は「矯正の家」で刑罰を課されるような対応でした。個人を「道徳的怠惰」と位置付ける風潮が長く続きます。

次のギルバート法ができるまで100以上年もかかっているんですよね。

1782年に、ギルバート法(イギリス)が制定され、院外救済が行われるようになりました。同時期1785年には、スピーナムランド制ができ、翌年にはヤング法として施行されています。

ここまで成熟してきたかのように見えたイギリスの救貧制度ですが、マルサスの「絶対的過剰人口論」や、ベンサムの功利主義に代表される当時の著名な有識者に影響を受け、またしても、貧民に対してかなり厳しい処遇が行われることになります。これが新救貧法です。

1800年代

1834年に新救貧法が制定された頃、イギリスでCOSによる友愛訪問が行われるようになりました。

その後、1884年にトインビーホールが設立され、1886年にはアメリアでもコイトがネイバーフッドギルトを作り、1889年にはアダムスがハルハウスを設立しています。

そして、ブーストとラウントリーの貧困の調査を行ったのも1880年代。ウェッブ夫妻が「産業民主政論」でナショナルミニマムの概念を提唱したのも1897年です。貧困問題に対して新しいアプローチが必要だと考えられるようになったのもこの頃でしょう。

同じ頃、ドイツではビスマルクが世界初の社会保険制度として疾病保険が完成しました(1883年)。わが国のはじめての医療保険は1922年ですから、日本より50年ほど早く保険の仕組みができていたということになりますね。

1900年代

1900年~1920年

1900年初頭には「生存権」という言葉が使われるようになりました。もちろん日本ではありません。ドイツのワイマール憲法です。

イギリスではブースとラウントリーの貧困の調査を1つの契機とし、貧困に関する新しい認識が持たれるようになってきます。特に国民保健法(健康保険&失業保険)を1911年に制定し、福祉国家への歩みを開始することになったのは大きな契機になっていますね。

1920年代

1929年、ニューヨークのウォール街で発生した株価の暴落を契機に、世界大恐慌に突入しました。イギリスの失業率は10%を超え、失業を個人の道徳堕落の結果とみなすことが不適切であることが明確になりました。イギリスは、赤字に苦しみつつも、個人の怠惰と貧困は必ずしも直結しないことを認め、無契約給付(事実上の公的扶助)が実施されるようになりました。

アメリカではルーズベルト大統領がニューディール政策を行いました。さらに、1935年には世界で初めて「社会保障」という言葉を用い、「社会保障法」を制定しています。

↑結構、驚きではありませんか???社会保障という言葉を使ったのがアメリカだなんて!

1940年代~1960年代

イギリスでベヴァリッジ報告が出されたのが、第二次世界大戦中の1942年。正式名称は「社会保険と関連サービス」ですが、委員長の名前をとってベヴァリッジ報告と呼ばれることが多いですね。

第二次世界大戦後、日本は高度経済成長期に入ります。福祉3法、6法が制定され、国民皆保険も完成しました。1970年代に入ると、児童手当制度などもでき、1973年を福祉元年として「高齢者の医療費無料化」「高額療養費」「年金の受給額見直し」等、色々な改革を実施しました。

一方、イギリスは1968年のシーボーム報告を受け、1970年には地方自治体社会サービス法ができます。これで必要なサービスは包括的に社会サービス部で受けることができるようになりました。

1970年代~1990年代

ところが、その後のオイルショック。わが国だけでなく、諸外国も経済的に様々なダメージを受けることになります。

イギリスでは1978年にはウルフェンデン報告が出され、福祉多元主義が提唱されました。全てのサービスを公的な責任で提供するのが難しくなってきたからです。

さらに翌年1979年にサッチャーが首相になりはっきりとした「小さな政府」路線を採用しました。その後1988年に出されたのがグリフィス報告です。国は必要な財源も全て地方に移譲しすることを決め、1990年には国民保健サービス(NHS)及びコミュニティケア法を制定しました。

1997年にはブレア政権が発足しましたが、ブレア首相はギデンズが提唱した「第三の道」にならい、「ポジティブウェルフェア」を重視しています。

また、1998年にはブレア政権はボランティアセクターやコミュニティの役割を重視し、政府をセクターとボランティアセクターが協約(コンパクト)を結ぶ政策を実施しています。

同じころ、スウェーデンでは1992年にエーデル改革が行われました。保健医療サービスはランスティングが、福祉サービスはコミューンが担うことになりました。

今日はここまで!

まず、ここまでの流れを覚えてはいかがでしょうか。年表は暗記ではなく「流れ」で覚えましょう。今日はサンダーバードの中でこれを書いているので、誤字等がないか心配です。

また読み返しますが、間違いを見つけたら、教えてください(笑)

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