どうしても勉強がはかどらない日、過去問を開く気持ちになれない時がありますよね。そういう日、「今日はやめた」と1日休むのもいいのですが、私はそういう時こそ、あることに絞って勉強することをおすすめしたいです。
「休む」と決めて何もしない日を作ると、どうしてもペースにムラができてしまいます。疲れている日や、過去問にじっくり取り組む気持ちになれない日は、せめてこれだけしませんか。10分ですみますから。
10分だけ頑張りましょう
今日は、イギリス福祉国家の骨格を作った2人です。しかもこの2人、単に思想がつながっているだけでなく、ベヴァリッジは若い頃、ウェッブ夫妻から官僚や大学関係者を紹介してもらうなど、直接お世話になった間柄でした。師弟関係のような、実際の人的つながりごと覚えておきましょう。
今日、覚えてほしいのが以下の2人(+関連の1人)です。
ウェッブ夫妻|ナショナル・ミニマムと少数派報告
シドニー・ウェッブとビアトリス・ウェッブの夫妻は、社会主義団体「フェビアン協会」の理論的指導者でした。フェビアン協会は、革命ではなく議会政治を通じた漸進的(一気にではなく、少しずつ段階を踏んで進める)な社会改革を掲げた団体です。
夫妻の代表的な業績が、1897年に提唱した「ナショナル・ミニマム」です。国が国民に保障すべき最低限の生活水準という考え方で、最低賃金だけでなく、教育・衛生・余暇まで含めた幅広い概念でした。
そしてもう1つ、国試で重要なのが「少数派報告(Minority Report, 1909年)」です。1905〜09年の救貧法王立委員会で、多数派が救貧法の部分的な改良を主張したのに対し、ビアトリス・ウェッブは貧困は個人の道徳的な欠陥ではなく、社会的なリスクの結果であると捉え、労働能力の有無で救済に差をつけることを批判した少数派報告をまとめました。
この報告はすぐには採用されませんでしたが、後の社会保険制度や福祉国家の設計思想に大きな影響を与えました。
ベヴァリッジ|「ゆりかごから墓場まで」
ウェッブ夫妻に多くを学んだベヴァリッジは、1942年に「ベヴァリッジ報告(社会保険及び関連サービス)」を発表します。「ゆりかごから墓場まで」のフレーズで知られる、戦後イギリス福祉国家の設計図です。
ベヴァリッジ報告は、「窮乏・疾病・無知・不潔・怠惰」という5つの巨悪への対策として、社会保険・国民扶助・任意保険という3つの方法を組み合わせた社会保障計画を示しました。中心にあるのは社会保険であり、ウェッブ夫妻のナショナル・ミニマムの考え方を土台にしながら、それを国家責任による具体的な制度として結実させたのがベヴァリッジだと押さえておいてください。
(関連)ビスマルク|世界初の社会保険
ベヴァリッジ報告の中心が「社会保険」だったと聞くと、思い出しておきたいもう1人がいます。ドイツの宰相ビスマルクです。
ビスマルクは1883年、世界で初めての社会保険制度である疾病保険法を制定しました(続けて1884年に災害保険法、1889年に養老・廃疾保険法)。社会主義運動を弾圧する「社会主義者鎮圧法」と同時に進めたため、「アメとムチの政策」と呼ばれています。
ウェッブ夫妻・ベヴァリッジより半世紀ほど前、社会保険という仕組み自体を世界で最初に作ったのがビスマルクだった、という時系列で押さえておくと、社会保障の歴史が一本の線でつながります。
今日のまとめ
疲れている日は、この3名(特にウェッブ夫妻とベヴァリッジ)だけ覚えましょう。また明日、頑張りましょう。
この記事は「頻出!合格のために必ず覚えておきたい人名シリーズ」の一つです。
他の回はこちらから→人名シリーズ一覧
お疲れ様でした。

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