どうしても勉強がはかどらない日、過去問を開く気持ちになれない時がありますよね。そういう日、「今日はやめた」と1日休むのもいいのですが、私はそういう時こそ、あることに絞って勉強することをおすすめしたいです。
「休む」と決めて何もしない日を作ると、どうしてもペースにムラができてしまいます。疲れている日や、過去問にじっくり取り組む気持ちになれない日は、せめてこれだけしませんか。10分ですみますから。
10分だけ頑張りましょう
今回からいよいよ日本編です。シリーズ①でトインビーホールから始まったこの物語、明治(←ここ意外と大切です。「明治」「大正」時代の歴史として正しいものはどれか?と問われたことがあります)の日本にも「制度がないなら自分がやる」と立ち上がった人たちがいました。今回は国試で毎年のように狙われる、慈善事業の先駆者4人です。
石井十次(いしい じゅうじ)〜岡山孤児院〜
医師を志して岡山で学んでいた石井十次は、ある巡礼の母子との出会いから孤児を引き取ったことをきっかけに、医学の道を捨てて孤児救済に一生を捧げる決意をします。こうして生まれたのが岡山孤児院です。
石井十次のすごさは「無制限収容」を掲げたこと。濃尾地震や東北の凶作のときには孤児を断らずに受け入れ、一時は1,200人を超える子どもたちを養育しました。また、小さな家に少人数の子どもと保母が家族のように暮らす小舎制(家族主義)を採り入れた点も重要です。現在の児童養護のあり方を100年以上先取りしていた人物といえます。
石井亮一(いしい りょういち)〜滝乃川学園〜
もう一人の石井が、石井亮一です。濃尾地震の際に孤児となった女子(孤女)を保護する中で、その中に知的障害のある子どもがいたことから、知的障害児教育の必要性を痛感します。こうして設立されたのが、日本初の知的障害児施設滝乃川学園です。
→石井十次と石井亮一はこちらもご参照ください。人名を覚えるコツをご紹介しています。

留岡幸助(とめおか こうすけ)〜家庭学校〜
留岡幸助は牧師となった後、北海道の監獄で受刑者に教えを説く教誨師(きょうかいし)として働きました。囚人たちと向き合う中で、さらにアメリカに渡り、当時アメリカで進んでいた監獄改良運動(刑罰中心の監獄のあり方を、受刑者の更生と教育を重視する方向へ改善しようとする動き)に大きな影響を受けます。この経験から、「大人になってから監獄を改良して更生させるより、少年のうちに教育で立ち直らせることが根本的な解決だ」と考えるようになりました。そして1899年(明治32年)、東京・巣鴨に家庭学校を設立しました。後に北海道にも分校(北海道家庭学校)を開いています。
キーワードは「感化事業」。罰するのではなく、家庭的な環境と教育の力で少年を立ち直らせるという思想です。家庭学校設立の翌年、1900年(明治33年)に感化法が制定され、感化院の設置が制度化されました。「民間の実践が先、法律が後」という順番も押さえておきましょう。
山室軍平(やまむろ ぐんぺい)〜救世軍〜
山室軍平は、日本における救世軍の創始者です。救世軍は、貧困者や生活困窮者への社会事業を積極的に行うキリスト教の団体で、山室軍平はその日本人初の指導者として活動しました。廃娼運動(公娼制度の廃止を求める運動)にも力を注ぎました。
彼の名を象徴する取り組みが「社会鍋」です。社会鍋とは、歳末に街頭へ三脚に吊るした鍋を置き、生活に困る人たちのための募金を呼びかける、救世軍独自の活動です。1909年(明治42年)に始まり、現在も救世軍によって続けられています。
社会福祉を学ぶ人にとって「年末の募金」といえば、赤い羽根でおなじみの共同募金をまず思い浮かべるかもしれませんが、社会鍋と共同募金は別の仕組みです。社会鍋は救世軍という一団体の独自活動である一方、共同募金は戦後の1947年、社会福祉法に基づいて全国的に制度化された仕組みです。
*共同募金もよく出題されるキーワードですね
豆知識:「岡山四聖人」とは
石井十次・留岡幸助・山室軍平、そしてシリーズ①で紹介したアリス・ペティ・アダムス(岡山博愛会)の4人は、まとめて「岡山四聖人」と呼ばれています。
このうち3人(石井十次、留岡幸助、山室軍平)は岡山県出身、アダムスはアメリカ出身の宣教師ですが岡山で活動しました。4人に共通するのは、明治期にキリスト教信仰を土台として、恵まれない人々のための救済事業に生涯を捧げたという点です。「聖人」とは、その献身的な功績をたたえた尊称であり、正式な宗教上の称号ではありません。
今日のまとめ
疲れている日は、この4名だけ覚えましょう。また明日、頑張りましょう。
この記事は「頻出!合格のために必ず覚えておきたい人名シリーズ」の一つです。
他の回はこちらから→人名シリーズ一覧
お疲れ様でした。


コメント