【頻出!流れで覚える年表シリーズ】イギリスの歴史④|シーボーム報告・バークレイ報告・グリフィス報告と福祉多元主義

社会福祉の原理と政策
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年表シリーズ、イギリス編もいよいよ4回目です。

前回は、ブース・ラウントリーの貧困調査から、ベヴァリッジ報告(1942年)までを追いかけました。「ゆりかごから墓場まで」。5つの巨人悪。ナショナル・ミニマム。ここまでは比較的覚えやすいかもしれません。

問題は、この先です。

シーボーム。エイブス。ウルフェンデン。バークレイ。グリフィス。カタカナの報告書が、次々出てきます。「先生、報告書がもう、ぐちゃぐちゃです」と、毎年必ず言われます。

ばらばらにとりあえず暗記しようとすると、かえってわかりにくくなります。少々遠回りでも、1本の線の上に並べると、驚くほどすっきりします。今日は、その線を引きにいきましょう。

その前に――救貧法、ここで終わります

報告書の話に入る前に、どうしても回収しておきたい伏線があります。

このシリーズ、どこから始まったか覚えていますか。1601年、エリザベス救貧法です。あそこから、私たちはずっとイギリスを追いかけてきました。新救貧法の劣等処遇。慈善組織協会(COS)。セツルメント運動。貧困調査。そしてベヴァリッジ報告。

その救貧法が、ついに姿を消します。

ベヴァリッジ報告を受けて、戦後のイギリスは一気に制度を組み立てていきました。

1946年に国民保健サービス法

1948年からNHS(国民保健サービス)

1948年、国民扶助法(ここで救貧法は正式に廃止

1601年のエリザベス救貧法から、1948年まで実に347年。「貧しいのは、その人が怠けているからだ」――そんな思い込みから始まった仕組みが、「生活を支えるのは国の責任だ」という考え方に置き換わるまでに、本当に長い年月がかかりました。

①シーボーム報告(1968年)――ばらばらの窓口を、ひとつに

さて、ここからが本番です。

制度は整った。でも、いざ使おうとすると、住民は困っていました。高齢の相談はこっち、子どもの相談はあっち、障害の相談はそっち。自治体の窓口が、分野ごとにばらばらだったのです。たらい回し、というやつですね。今の日本で聞く話と、まったく同じです。

そこで1968年、シーボーム報告が出ます。提言はシンプルでした。「ばらばらの部局を統合して、ひとつにまとめよう」というものでした。この提言を受けて、1970年に地方自治体社会サービス法が成立。この法律は、名前の通り、全ての自治体に社会サービス部(統合された包括的部局)が設置されることを目指しました。様々な窓口が、ひとつになったのです。

②エイブス報告(1969年)――ボランティアにしかできないこと

シーボーム報告の翌年、1969年に出たのがエイブス報告です。

テーマは、ボランティアです。ここで示されたのは

「ボランティアの役割は、専門職の手伝いをすることではない」

「専門職にはできない、新しいサービスを開発すること」

ボランティアは専門職の下請けではない、という宣言ですね。

③ウルフェンデン報告(1978年)――福祉多元主義の登場

1973年、オイルショックが世界を襲い、イギリスの財政も苦しくなります。そのため「国民の生活のベースとなる福祉サービスは国が全て責任をもって直接実施する」。その前提が、揺らぎ始めました。では、それらを誰が担うのかを考えなければなりませんでした。

これまで通りの公的部門でもない、かといって、組織化されていないインフォーマルな支え合いでもない・・・そこで注目されたのが、ボランタリー組織でした。

1978年のウルフェンデン報告は、この両者のあいだをつなぐ存在としてボランタリー組織を位置づけます。硬直的になりがちな公的部門と、組織化されていないインフォーマル部門。その間で、補完的・先駆的・仲介的な役割を果たしていくべきだ、と提言したのです。

そして、その過程で浮かび上がってきたのが――福祉の担い手は、一つではないという「福祉多元主義」(ウェルフェア・プルーラリズム)という考え方でした。「福祉の担い手が増えた」ということですね。

今後の福祉は多元的(複数の部門)な供給主体で担う

その後、福祉の担い手は公的部門だけでなく、民間、ボランタリー、インフォーマル――複数のセクターが支えるという考えが広がっていきました。

④バークレイ報告(1982年)――コミュニティソーシャルワーク

1982年、バークレイ報告。ここで登場するのがコミュニティソーシャルワークです。

目の前の人の困りごとは、そう都合よく分かれてはくれません。個人の相談に乗っていたら、家族の問題が出てきて、たどっていくと地域の環境そのものが原因だとわかる・・・現場では、当たり前に起きることです。

では、どうするか。バークレイ報告が示した答えは、こうでした。目の前の人の話を聴くこと(カウンセリング)と、その人を支える体制を組み立てること(社会的ケア計画)を、地域を基盤にして一体で行う。これがコミュニティソーシャルワークです。社会的ケア計画とは、家族、近隣、ボランティアといったインフォーマルな支え合いと、公的なサービス。その両方を組み合わせて、その人の暮らしが回るように設計していくことを目指します。

これまで相談を受ける人と、地域の資源をつなぐ人はそれぞれ別々であることが当たり前でした(ここでも縦割り)。それを別々の担当者に分けるのではなく、同じワーカーがやるべきだという考え方が新しかったのです(なお、ケースワーク・グループワーク・コミュニティワークを統合した実践と表現されることもあります)。

⑤グリフィス報告(1988年)――コミュニティケア改革へ

そして最後、1988年のグリフィス報告です。

このグリフィスは、サッチャーの友人でバリバリの経営者です。福祉関連の人ではありません。当時サッチャー政権は「小さな政府」「民営化」「市場原理の導入」を掲げていました。そこに経営者を起用して、今後の福祉の在り方についてまとめてもらったわけですから、効率を重視した内容であったことはすぐに想像がつくでしょう。

コミュニティケアを進めたいけれど、財政も運用もうまくいっていない。そこで示されたのが、この3点です。

①中央政府は、目標と優先順位を決め、財政的な責任を負う

②地方自治体の社会サービス部が主役となり、個人のニーズに応じたケア・パッケージを組む

③そして、ケアの提供者は公的部門だけでなく、民間・インフォーマルも含めた多様な担い手とする。

ウルフェンデンの福祉多元主義が、ここで具体的な仕組みとして導入されたということですね。

この報告を受けて、1990年に国民保健サービス及びコミュニティケア法が成立します。

すっきり整理:5つの報告書

報告書キーワードつながる法律
シーボーム報告1968年部局の統合地方自治体社会サービス法(1970年)
エイブス報告1969年ボランティアの役割
ウルフェンデン報告1978年福祉多元主義
バークレイ報告1982年コミュニティソーシャルワーク
グリフィス報告1988年ケア・パッケージ/多様な担い手国民保健サービス及びコミュニティケア法(1990年)

覚え方としては、シーボームとグリフィスはその後の新法にダイレクトに影響を与えています。ここを軸にすると、頭の中が整理しやすくなります。

簡単にまとめます!

報告書も法律も、朝起きて「さ、今日は報告書でも作ろうかな」「そろそろ新しい法律でも作るか」というノリで生まれるものではありません。

何か「困ったこと」「変えないといけないこと」が意識されることにより、「次の報告書」がうまれます。

窓口が縦割りで使いにくいから統合した→(シーボーム)

ボランティアの専門性に対する世間の評価が低すぎない?しっかり見直そう。→(エイブス)

オイルショックで財源がなくなったから福祉サービスを何とかしなければ→(ウルフェンデン)

色々な人がサービスを担うなら個別バラバラの手法でするのではなく方法を統合しよう→(バークレイ)

オイルショック後の財政難にもサッチャー首相が掲げた小さな政府路線にも合致する仕組みとお金の流れを整えよう

                                               →(グリフィス)。                                           

日本にもこういう「困りごと」に対応するために制度を作るという流れ

国試的にも山ほどあります。

また、それは次の機会に。

物語で流れをつかんだら、最後は必ず、名前と年をセットで確認しておいてくださいね。

この記事は「頻出!流れで覚える年表シリーズ」の一つです。

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