日本の福祉の歴史シリーズ
語呂合わせで、年表を覚えようとしていませんか。法律は、いつできたかではなく、どのような背景で、どのような内容だったかを覚えていないと解けません。時代背景と一緒に、流れで覚えていきましょう。
日本の歴史は全6回です。
→①明治期|恤救規則と慈善事業家たち
→日本の福祉の歴史②|大正期・済世顧問制度・米騒動・方面委員制度(この記事)
→③昭和戦前|救護法から戦時厚生事業まで
→④福祉三法から福祉元年・オイルショックまで
→⑤福祉見直し論|新経済社会7カ年計画と日本型福祉社会
→⑥ゴールドプラン・福祉八法改正から基礎構造改革へ
歴史の勉強の仕方についての記事はこちら
→歴史の勉強の仕方
今回のテーマは大正期
日本の福祉の歴史、第2回は大正期です。この時代の中心は、1917年(大正6年)の済世顧問制度、1918年(大正7年)の米騒動、同年の方面委員制度の三つです。
第一次世界大戦と物価の高騰
大正期は、第一次世界大戦(1914年から1918年)の時期と重なります。戦争の影響で日本は大戦景気とよばれる好景気になりましたが、同時に物価が急激に上がり、都市の労働者や農村の人々の生活は苦しくなりました。
困窮した世帯には家族のある者も多く、対象が極貧の独身者に限られる恤救規則では対応できない規模で、貧困問題が広がりました。
済世顧問制度・米騒動・方面委員制度
済世顧問制度(1917年・岡山県)
1917年(大正6年)、岡山県知事の笠井信一が済世顧問制度を創設しました。国の対応が十分でない部分を地域で補う仕組みで、地域の名望家を済世顧問として委嘱し、貧困家庭の相談に応じて自立を助けました。
米騒動(1918年)
翌1918年(大正7年)、米価の暴騰をきっかけに、富山県から始まった騒動が全国に広がりました。米騒動です。生活に困った人々が米屋などに押しかけ、軍隊が出動しました。
米騒動によって、貧困が社会不安につながることが、国にも府県にも明らかになりました。そのため、地域の担当者が世帯の実態を調べて継続的に援助する仕組みが求められるようになりました。
方面委員制度(1918年・大阪府)
米騒動と同じ1918年(大正7年)、大阪府知事の林市蔵が、小河滋次郎の協力を得て方面委員制度を創設しました。小学校の通学区域を方面という単位にして、方面委員が担当地域の世帯を調査し、生活状況をカードに記録して、必要な援助につなげる仕組みです。ドイツのエルバーフェルト制度を参考にしたといわれています。
方面委員制度は各地に広がり、1936年(昭和11年)の方面委員令で全国の制度になります。そして戦後の民生委員制度につながっていきます。
国家試験では、次のように出題されました。
○「大阪府で方面委員制度が創設された。」(第37回問題20)→1918年(大正7年)です。
○「岡山県済世顧問制度に続き、大阪府で方面委員制度が設置された。」(第30回問題31)
×「「方面委員制度」は、方面委員令によって創設された。」(第30回問題31)→方面委員令は1936年(昭和11年)で、すでに各地にあった制度を全国の制度にしました。
×「方面委員制度は、社会事業の確立によって済世顧問制度へと発展した。」(第34回問題25)→済世顧問制度は岡山県、方面委員制度は大阪府で創設された別の制度です。
「社会事業」という言葉の登場
大正期には、それまでの慈善事業、感化救済事業に代わって、社会事業という言葉が使われるようになりました。救済は、個人の慈善や恩恵として行うものから、社会の問題として対応するものへと考え方が変わりました。1920年(大正9年)には内務省に社会局が設置され、国の救済行政を担当する部署が置かれました。
国家試験では、次のように出題されました。
×「第一次世界大戦末期に発生した米騒動の直後に、社会事業に関する事項を扱う行政機関として厚生省が設立された。」(第34回問題25)→社会事業を扱う行政機関として、1920年(大正9年)に内務省に社会局が置かれました。厚生省の設立は1938年(昭和13年)です。
すっきり整理 大正期の年表
次回は昭和戦前です
次回は昭和戦前、世界恐慌と救護法の時代です。
→日本の福祉の歴史③昭和戦前
ほかの分野の歴史の記事はこちら
→歴史の記事マップ
過去問を解いてみましょう
第37回 社会福祉の原理と政策 問題20
大正期の社会事業に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 感化法が制定された。
2 中央慈善協会が設立された。
3 恤救規則が制定された。
4 大阪府で方面委員制度が創設された。
5 石井十次によって岡山孤児院が設立された。
解説
1→× 感化法の制定は1900年(明治33年)です。
2→× 中央慈善協会の設立は1908年(明治41年)です。
3→× 恤救規則の制定は1874年(明治7年)です。
4→○ 大阪府で方面委員制度が創設されたのは1918年(大正7年)です。
5→× 岡山孤児院の設立は1887年(明治20年)です。
選択肢4以外は、すべて明治期のできごとです。明治期についての記事はこちら
→日本の福祉の歴史①|明治期・恤救規則と慈善事業家たち
第34回 現代社会と福祉 問題25
戦前の社会事業に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 方面委員制度は、社会事業の確立によって済世顧問制度へと発展した。
2 第一次世界大戦末期に発生した米騒動の直後に、社会事業に関する事項を扱う行政機関として厚生省が設立された。
3 救護法は市町村を実施主体とする公的扶助義務主義を採用したが、要救護者による保護請求権は認めなかった。
4 国家総動員体制下において、人的資源論に基づく生産力・軍事力の観点から、戦時厚生事業は社会事業へと再編された。
5 社会事業法の成立により、私設社会事業への地方長官(知事)による監督権が撤廃されるとともに、公費助成も打ち切られた。
解説
1→× 済世顧問制度は岡山県(1917年)、方面委員制度は大阪府(1918年)で創設された別の制度です。方面委員制度が済世顧問制度に発展したのではありません。
2→× 米騒動のあと、社会事業を扱う行政機関として、1920年(大正9年)に内務省に社会局が置かれました。厚生省の設立は1938年(昭和13年)です。
3→○ 救護法は、市町村を実施主体とする公的扶助義務主義をとりましたが、要救護者の保護請求権は認めませんでした。
4→× 国家総動員体制下で、社会事業が戦時厚生事業へと再編されました。逆です。
5→× 社会事業法によって、私設社会事業に公費を助成し、国が監督を行うこととなりました。
救護法・戦時厚生事業・社会事業法についての記事はこちら
→日本の福祉の歴史③昭和戦前
第33回 地域福祉の理論と方法 問題33
民生委員制度やその前身である方面委員制度等に関する次の記述のうち、正しいものを2つ選びなさい。
1 方面委員制度は、岡山県知事である笠井(かさい)信一によって、地域ごとに委員を設置する制度として1918年(大正7年)に創設された。
2 方面委員は、救護法の実施促進運動において中心的な役割を果たし、同法は1932年(昭和7年)に施行された。
3 民生委員法は、各都道府県等で実施されていた制度の統一的な発展を図るため、1936年(昭和11年)に制定された。
4 民生委員は、旧生活保護法で補助機関とされていたが、1950年(昭和25年)に制定された生活保護法では実施機関とされた。
5 全国の民生委員は、社会福祉協議会と協力して、「居宅ねたきり老人実態調査」を全国規模で1968年(昭和43年)に実施した。
解説
1→× 笠井信一が創設したのは1917年の岡山県済世顧問制度です。1918年の大阪府方面委員制度は、林市蔵と小河滋次郎によるものです。
2→○ 方面委員は救護法の実施を求める運動の中心となりました。救護法は1929年(昭和4年)の制定、1932年(昭和7年)の施行です。
3→× 1936年(昭和11年)に制定されたのは方面委員令です。民生委員法の制定は1948年(昭和23年)です。
4→× 民生委員は、旧生活保護法では補助機関、1950年の生活保護法では協力機関とされました。実施機関ではありません。
5→○ 1968年(昭和43年)に全国規模で実施されました。
第30回 現代社会と福祉 問題31
民生委員制度に収斂されることになる戦前の方面委員等の仕組み(以下、「方面委員制度」という。)に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 「方面委員制度」は、イギリスの慈善組織協会(COS)よりも早く始まっていた。
2 「方面委員制度」は、方面委員令によって創設された。
3 「方面委員制度」は、恤救規則を実施するための補助機関とされた。
4 岡山県済世顧問制度に続き、大阪府で方面委員制度が設置された。
5 大阪府の方面委員制度は、河上肇を中心に立案された。
解説
1→× イギリスの慈善組織協会(COS)の設立は1869年です。方面委員制度より早く始まっています。
2→× 方面委員制度は大阪府で創設されました。方面委員令は1936年(昭和11年)で、あとから全国の制度にするためのものです。
3→× 恤救規則を実施するための補助機関ではありません。
4→○ 1917年の岡山県済世顧問制度に続いて、1918年に大阪府で方面委員制度が設置されました。
5→× 大阪府の方面委員制度の立案の中心は小河滋次郎です。


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