歴史は整理して「流れ」で覚えてしまいましょう。
日本の福祉の歴史、第2回は大正期です。この時代のキーワードは、済世顧問制度・米騒動・方面委員制度の3つです。順番まで含めて、流れで覚えていきましょう。
第一次世界大戦と物価の高騰
大正時代は、第一次世界大戦(1914〜1918年)とともに始まったといってもいい時代です。戦争の影響で日本は空前の好景気を迎えますが、その裏で物価が急激に上がり、都市の労働者や農村の人々の生活は苦しくなっていきました。
景気がいいのに、暮らしは苦しい・・・。恤救規則しか持たない国の救貧の仕組みでは、手の打ちようがない規模で貧困問題が広がっていきます。
済世顧問制度(1917年・岡山県)
そこで先に動いたのは、各知事でした。1917年(大正6年)、岡山県知事の笠井信一が済世顧問制度を創設します。地域の名望家を済世顧問として委嘱し、貧困家庭の相談に応じて自立を助ける仕組みです。
米騒動(1918年)
翌1918年(大正7年)、米価の暴騰をきっかけに、富山県から始まった騒動が全国に広がりました。米騒動です。生活に困った人々が米屋などに押しかけ、軍隊が出動する事態にまでなりました。
貧困を放置すれば社会が揺らぐ。このことを、国も府県も思い知らされた出来事でした。
方面委員制度(1918年・大阪府)
米騒動と同じ1918年(大正7年)、大阪府知事の林市蔵が、小河滋次郎の協力を得て方面委員制度を創設しました。小学校の通学区域を「方面」という単位にして、方面委員が担当地域の世帯を調査し、生活状況をカードに記録して、必要な援助につなげる仕組みです。ドイツのエルバーフェルト制度を参考にしたといわれています。
この方面委員制度は各地に広がり、のちの民生委員制度へとつながっていきます。
「社会事業」という言葉の登場
大正期には、それまでの「慈善事業」「感化救済事業」に代わって、「社会事業」という言葉が使われるようになります。貧しい人への恵みではなく、社会の問題として貧困に取り組む、という考え方への転換です。行政の側でも、1920年(大正9年)に内務省に社会局が設置され、救済行政の体制が整えられていきました。
すっきり整理:大正期の年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1914年(大正3年) | 第一次世界大戦が始まる(〜1918年) |
| 1917年(大正6年) | 岡山県で済世顧問制度が創設される(笠井信一) |
| 1918年(大正7年) | 米騒動/大阪府で方面委員制度が創設される(林市蔵・小河滋次郎) |
| 1920年(大正9年) | 内務省に社会局が設置される |
過去問で確認
第37回 問題20
大正期の社会事業に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。
- 感化法が制定された。
- 中央慈善協会が設立された。
- 恤救規則が制定された。
- 大阪府で方面委員制度が創設された。
- 石井十次によって岡山孤児院が設立された。
正答:4
1 1900年に制定されました
1以外はすべて明治期のできごとです。前回の明治期の記事とセットで確認しておいてください。

次回は昭和戦前、世界恐慌と救護法の時代です。
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