ごちゃごちゃする歴史。整理して、流れで覚えてしまいましょう。
日本の福祉の歴史、第4回は戦後からオイルショックまでです。何もかもを失った焼け跡から、福祉国家への道を駆け上がっていった時代です。そして1973年、その勢いが頂点に達したまさにその年に、歴史は大きく折り返すことになります。
→①明治期の記事はこちら
→②大正期の記事はこちら
→③昭和戦前の記事はこちら
④戦後〜オイルショック(今ここ)
→⑤福祉見直し論の記事はこちら
→⑥ゴールドプラン〜基礎構造改革の記事はこちら
占領下の緊急対応
敗戦直後の日本は、戦災孤児や引揚者、失業者があふれる状態でした。実は(旧)生活保護法の前に、応急的な仕組みが1つあります。1945年(昭和20年)12月、GHQの指令(SCAPIN404号)を受けて、政府は「生活困窮者緊急生活援護要綱」を閣議決定しました。対象は戦災者・引揚者・失業者とその家族を含む生活困窮者全般で、失業者も対象から除外されていません。宿泊や給食などの現物給付、生業のあっせんなどを、都道府県の計画に基づいて市町村単位で実施する仕組みでした。
この要綱に代わって、1946年(昭和21年)に(旧)生活保護法が制定されます。ただしこの法律には、勤労を怠る者などを保護の対象から除外する欠格条項がありました。救護法の限界を引きずったままの、応急的な性格の強い法律でした。
同じ1946年には日本国憲法が公布され、第25条に生存権が規定されます。この生存権の理念を受けて、福祉の仕組みはあらためて組み立て直されていくことになります。
福祉三法体制
生存権を土台に、戦後の福祉法制は3つの法律から始まりました。まず1947年(昭和22年)の児童福祉法です。戦災孤児の保護にとどまらず、すべての児童の健全育成を目的とする、当時としては先進的な法律でした。続いて1949年(昭和24年)に身体障害者福祉法が制定されます。そして1950年(昭和25年)、欠格条項を撤廃した(新)生活保護法が制定され、保護請求権と不服申立ての権利が明記されました。救護法にはなかった「権利」が、ここでようやく確立したことになります。
この3つの法律を合わせて福祉三法体制と呼びます。
国民皆保険・皆年金(1961年)
高度経済成長のただ中、1958年(昭和33年)に国民健康保険法が全面改正され、1959年(昭和34年)に国民年金法が制定されました。そして1961年(昭和36年)、すべての国民が公的医療保険と公的年金でカバーされる国民皆保険・皆年金が実現します。
福祉六法体制
経済成長とともに、福祉三法だけではカバーしきれない領域が広がっていきました。1960年(昭和35年)に精神薄弱者福祉法(現在の知的障害者福祉法)、1963年(昭和38年)に老人福祉法、1964年(昭和39年)に母子福祉法が制定され、福祉三法と合わせて福祉六法体制が整いました。
老人福祉法は、特別養護老人ホームを含む老人福祉施設を法定化した点が重要です。母子福祉法は、当初は妻と離死別した夫が児童を扶養する家庭、いわゆる父子家庭を対象外としていました。
高齢化率7%突入と社会福祉施設緊急整備5か年計画(1970年)
1970年(昭和45年)、日本の高齢化率(65歳以上人口の割合)が7%を超え、日本は「高齢化社会」に突入しました。「70年に7%」とセットで覚えておくと年号が定着しやすいところです。
この動きを受けて、政府は社会福祉施設緊急整備5か年計画を策定し、不足していた特別養護老人ホームなどの社会福祉施設の整備を進めました。高度経済成長の税収を背景に、施設を「量」で増やしていった時期にあたります。この計画は、第34回問22の選択肢3(「社会福祉施設緊急整備計画の樹立とその実施を求めた」)の元になった内容ですが、1979年の新経済社会7カ年計画ではなく、この1970年の計画の話ですから、混同しないよう注意してください。
福祉元年(1973年)
高度経済成長の総仕上げとして、1973年(昭和48年)は「福祉元年」と呼ばれます。老人福祉法の改正によって70歳以上の高齢者の医療費の自己負担分が無料化され、家計の重い医療費負担を抑える高額療養費制度が創設され、年金の給付水準も大幅に引き上げられました(物価スライド制の導入)。この3つが、この年に一気に実現しています。
ところが、この福祉元年と同じ1973年10月、第一次石油危機(オイルショック)が起こります。日本の福祉が最も気前よく拡大したその年に、経済の前提そのものが崩れ始めていたことになります。ここから先は、次回の「福祉見直し論」の時代です。
すっきり整理:戦後〜福祉元年の年表
| 年 | できごと |
|---|---|
| 1945年(昭和20年) | 生活困窮者緊急生活援護要綱の閣議決定 |
| 1946年(昭和21年) | (旧)生活保護法の制定/日本国憲法の公布 |
| 1947年(昭和22年) | 児童福祉法の制定 |
| 1949年(昭和24年) | 身体障害者福祉法の制定 |
| 1950年(昭和25年) | (新)生活保護法の制定 |
| 1960年(昭和35年) | 精神薄弱者福祉法の制定 |
| 1961年(昭和36年) | 国民皆保険・皆年金の実現 |
| 1963年(昭和38年) | 老人福祉法の制定 |
| 1964年(昭和39年) | 母子福祉法の制定 |
| 1970年(昭和45年) | 高齢化率7%突入/社会福祉施設緊急整備5か年計画 |
| 1973年(昭和48年) | 福祉元年(老人医療費無料化・高額療養費制度創設等)/第一次オイルショック |
過去問で確認
第35回 問題26
福祉六法の制定時点の対象に関する次の記述のうち,最も適切なものを1つ選びなさい。
1 児童福祉法(1947年(昭和22年))は,戦災によって保護者等を失った満18歳未満の者(戦災孤児)にその対象を限定していた。
2 身体障害者福祉法(1949年(昭和24年))は,障害の種別を問わず全ての障害者を対象とし,その福祉の施策の基本となる事項を規定する法律と位置づけられていた。
3 (新)生活保護法(1950年(昭和25年))は,素行不良な者等を保護の対象から除外する欠格条項を有していた。
4 老人福祉法(1963年(昭和38年))は,介護を必要とする老人にその対象を限定していた。
5 母子福祉法(1964年(昭和39年))は,妻と離死別した夫が児童を扶養している家庭(父子家庭)を,その対象外としていた。
正答:5
選択肢1は誤りです。児童福祉法は戦災孤児に限らず、すべての児童を対象とする法律として制定されました。選択肢2も誤りで、身体障害者福祉法の制定当初は障害の種別が限定されており、すべての障害者を対象とする法律ではありませんでした。選択肢3は逆です。欠格条項を持っていたのは(新)生活保護法ではなく、その前の(旧)生活保護法です。選択肢4も誤りで、老人福祉法は介護を必要とする老人に限定せず、老人一般の福祉を対象とした法律でした。選択肢5が正しく、母子福祉法は制定当初、父子家庭を対象に含んでいませんでした。
次回はオイルショック後の福祉見直し論、新経済社会7カ年計画と日本型福祉社会の時代です。
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