イギリスの歴史シリーズ
語呂合わせで、年表を覚えようとしていませんか。法律は、いつできたかではなく、どのような背景で、どのような内容だったかを覚えていないと解けません。時代背景と一緒に、流れで覚えていきましょう。
イギリスの歴史は全4回です。
→イギリスの歴史①|エリザベス救貧法・スピーナムランド制度から新救貧法へ
→イギリスの歴史②|COS・セツルメント運動から広がる民間の力
→イギリスの歴史③|ブース・ラウントリーの貧困調査からナショナル・ミニマム、ベヴァリッジ報告へ
→イギリスの歴史④|福祉国家の完成からサッチャー・ブレアへ(この記事)
歴史の勉強の仕方についての記事はこちら
→歴史の勉強の仕方
今回のテーマは「福祉国家の完成と見直し」
イギリスの歴史、第4回は福祉国家の完成と見直しです。前回③では、1942年のベヴァリッジ報告までを確認しました。この回では、ベヴァリッジ報告が制度になっていく過程と、福祉国家が約30年で見直しを迫られた経緯を確認します。この時代の中心は、1948年の国民扶助法、1960年代の貧困の再発見、1968年からの報告書、1979年のサッチャー政権、1997年のブレア政権の第三の道です。
福祉国家の完成と貧困の再発見
第二次世界大戦が終わった1945年、イギリスでは労働党のアトリー政権が誕生しました。この政権のもとで、ベヴァリッジ報告の内容が次々と法律になっていきました。1946年に国民保健サービス法が制定され、1948年からNHS(国民保健サービス)が始まりました。そして同じ1948年、国民扶助法が制定されました。この国民扶助法によって、エリザベス救貧法から約350年続いた救貧法は廃止されました。「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた福祉国家イギリスが、ここに完成しました。
貧民を選別する時代は終わりました。ですが、これで貧困がなくなったわけではありません。1960年代、イギリスではエイベル-スミスとタウンゼントが『貧者と極貧者』(1965年)の中で、福祉国家が完成したはずの国に、まだ貧困が残っていることを指摘しました。貧困の再発見です。
国家試験では、次のように出題されました。
○「エイベル-スミス(Abel-Smith, B.)とタウンゼント(Townsend, P.)は、イギリスの貧困世帯が増加していることを1960年代に指摘し、それが貧困の再発見の契機となった。」(第34回問題26)→1960年代の貧困の再発見です。
×「タウンゼント(Townsend, P.)は、等価可処分所得の中央値の50%を下回る所得しか得ていない者を相対的剥奪の状態にある者とし、イギリスに多数存在すると指摘した。」(第34回問題26)→等価可処分所得の中央値の50%という基準は、相対的貧困率の考え方です。タウンゼントの相対的剥奪は、その社会で当たり前とされる生活ができない状態を指します。
同じ頃、アメリカでも、ハリントンの『もう一つのアメリカ』(1962年)などで貧困の再発見が取り上げられていました。その流れの中で、パールマンは「ケースワークは死んだ」という表現でケースワークのあり方を問い直しました。制度も背景も違う2つの国で、ほぼ同じ時期に貧困の再発見が起きていました。
窓口の分立と報告書の時代(1968年から1988年)
福祉国家は完成しましたが、20年ほど運営してみると、現場に問題が見えてきました。高齢者、児童、障害者といった対象ごとにサービスが縦割りに分かれていて、住民がたらい回しにされる状態でした。1973年の石油危機で財政も苦しくなりました。こうした問題に応えるために、1968年のシーボーム報告を皮切りに、エイブス報告、ウルフェンデン報告、バークレイ報告、グリフィス報告と、報告書が次々に出されました。
①シーボーム報告(1968年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきだと勧告しました。
②エイブス報告(1969年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割を強調しました。
③ウルフェンデン報告(1978年)は、サービスを供給する部門をインフォーマル、ボランタリー、法定(公定)、民間営利の4つに分類し、供給主体の多元化を示しました。
④バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践として、コミュニティソーシャルワークを提唱しました。
⑤グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの責任を地方自治体に置くことを示し、その後のコミュニティケア改革につながりました。
国家試験では、次のように出題されました。
×「シーボーム報告(1968年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。」(第29回問題33)→ボランティアの役割を強調したのはエイブス報告です。
×「エイブス報告(1969年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。」(第29回問題33)→部門の統合を勧告したのはシーボーム報告です。
×「ウォルフェンデン報告(1978年)は、地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。」(第29回問題33)→ウルフェンデン報告は、インフォーマル、ボランタリー、法定(公定)という分類を示し、供給主体の多元化を打ち出しました。
○「バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。」(第29回問題33)→バークレイ報告がコミュニティソーシャルワークを提唱しました。
×「グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。」(第29回問題33)→ナショナル・ミニマムを提唱したのはウェッブ夫妻です。
×「「べヴァリッジ報告」(1942年)は、社会保障制度の基礎となるとともに、地方自治体におけるパーソナル・ソーシャル・サービスを中心とした組織改革をもたらした。」(第27回問題33)→地方自治体の組織改革をもたらしたのは、1968年のシーボーム報告です。
×「イギリス政府の病院計画(1962年)では、10年間で知的障害者の入所施設の利用者数をほぼ半数に減らし、コミュニティケアを推進する政策を打ち出した。」(第27回問題33)→病院計画は、精神科病床を削減してコミュニティケアを進める計画です。知的障害者の入所施設の利用者数を半減させる計画ではありません。
五つの報告書の違いについての記事はこちら。
→シーボーム報告・ウルフェンデン報告・グリフィス報告の違い|エイブス・バークレイもすっきり解説
サッチャーの登場(1979年から)
石油危機をきっかけに、国はこのまま福祉を支えきれるのか、という問いが先進国共通の課題として突きつけられました。福祉国家の危機です。そして1979年、国家の役割を小さくし、市場に任せることを掲げたサッチャー政権が誕生しました。国有企業の民営化、社会保障の見直しが進められました。福祉国家を作った国で、福祉国家を見直す政権が生まれました。
ブレアの「第三の道」(1997年)
サッチャー流の小さな政府が格差の拡大を招いたという批判の中、1997年に登場したのがブレア政権です。大きな政府にも小さな政府にも寄らない「第三の道」を掲げ、市場の効率性を活かしながら、教育や雇用への公的投資で機会の平等を保障する路線をとりました。
国家試験では、次のように出題されました。
×「サッチャー(Thatcher, M.)が率いた保守党政権は、貧困や社会的排除への対策として、従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」の考え方に立つ政策を推進した。」(第34回問題26)→「第三の道」を進めたのは、ブレアが率いた労働党政権です。
サッチャーとブレアの違いについての記事はこちら
→アダムスミスからサッチャー、ハイエクとフリードマン|自由主義と第三の道をわかりやすく解説
エリザベス救貧法から400年近く。国家がどこまで面倒を見るべきかという問いは、形を変えながら、今も続いています。
すっきり整理 福祉国家の完成から第三の道へ
シリーズはここまでです
イギリスの歴史シリーズは、エリザベス救貧法(1601年)から、ブレア政権の第三の道までの4回です。①から順に読むと、約400年の救貧と福祉の流れを、背景と一緒に確認できます。
→イギリスの歴史①|エリザベス救貧法・スピーナムランド制度から新救貧法へ
海外の福祉の歴史の一問一答についての記事はこちら
→海外の福祉の歴史の一問一答(50問)|イギリスの救貧法と報告書・アメリカの社会保障
アメリカの社会保障の歴史についての記事はこちら
→アメリカの社会保障の歴史|社会保障法・メディケア・メディケイドからオバマケアまで
ほかの分野の歴史の記事はこちら
→歴史の記事マップ
過去問を解いてみましょう
第29回 地域福祉の理論と方法 問題33
イギリスの各種の報告書における地域福祉に関する次の記述のうち、最も適切なものを1つ選びなさい。
1 シーボーム報告(1968年)は、社会サービスにおけるボランティアの役割は、専門家にできない新しい社会サービスを開発することにあることを強調した。
2 エイブス報告(1969年)は、地方自治体がソーシャルワークに関連した部門を統合すべきであることを勧告した。
3 ウォルフェンデン報告(1978年)は、地方自治体の役割について、サービス供給を重視した。
4 バークレイ報告(1982年)は、コミュニティを基盤としたカウンセリングと社会的ケア計画を統合した実践であるコミュニティソーシャルワークを提唱した。
5 グリフィス報告(1988年)は、コミュニティケアの基礎となるナショナル・ミニマムの概念を提唱した。
解説
1→× ボランティアの役割を強調したのはエイブス報告です。
2→× 部門の統合を勧告したのはシーボーム報告です。
3→× ウォルフェンデン報告は、民間組織(ボランタリー組織)の将来のあり方を検討した報告です。社会サービスの供給システムをインフォーマル部門、公的部門、民間営利部門、民間非営利部門に分け、福祉多元主義を打ち出しました。とりわけインフォーマルネットワークを重視しました。
4→○ バークレイ報告がコミュニティソーシャルワークを提唱しました。
5→× ナショナル・ミニマムを提唱したのはウェッブ夫妻です。グリフィス報告は、地方自治体がコミュニティケアの財政責任をもつことや、地方自治体ごとにコミュニティケア計画を策定することなどを提案しました。
第27回 地域福祉の理論と方法 問題33
地域福祉にかかわるイギリスの歴史に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。
1 チャルマーズ(Chalmers, T.)による隣友運動(1819年)では、貧困家庭への訪問活動が行われ、救貧法の改正に大きな影響を与えた。
2 ロンドンで設立された慈善組織協会(1869年)は、慈善活動を組織化するとともに友愛訪問を実施し、ソーシャルワークの形成に大きな影響を与えた。
3 ロンドンの富裕地域に設立されたトインビーホール(1884年)は、セツルメントの拠点として、富裕層による慈善活動を喚起する役割を担った。
4 「べヴァリッジ報告」(1942年)は、社会保障制度の基礎となるとともに、地方自治体におけるパーソナル・ソーシャル・サービスを中心とした組織改革をもたらした。
5 イギリス政府の病院計画(1962年)では、10年間で知的障害者の入所施設の利用者数をほぼ半数に減らし、コミュニティケアを推進する政策を打ち出した。
解説
1→× 隣友運動は貧困家庭への訪問活動を行いましたが、救貧法の改正に大きな影響を与えたとまではいえません。
2→○ 慈善組織協会は慈善活動を組織化し、友愛訪問を行いました。
3→× トインビーホールが設立されたのは、ロンドンのイーストエンドという貧困地域です。
4→× 地方自治体の組織改革をもたらしたのは、1968年のシーボーム報告です。
5→× 病院計画は、精神科病床を削減してコミュニティケアを進める計画です。知的障害者の入所施設の利用者数を半減させる計画ではありません。


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