語呂合わせで、年表を覚えようとしていませんか? 法律は「いつできたか」ではなく「どのような背景で、どのような内容だったか」を覚えていないと解けません。 時代背景と一緒に、流れで覚えていきましょう。
→①エリザベス救貧法・スピーナムランド制度から新救貧法の記事はこちら
→②COS・セツルメント運動から広がる民間の力の記事はこちら
→③ブース・ラウントリーの貧困調査からベヴァリッジ報告への記事はこちら
④イギリスの歴史④(今ここ)
今回のテーマは「福祉国家の完成と見直し」
前回③では、1942年のベヴァリッジ報告までを扱いました。

今回は最終回です。ベヴァリッジ報告という設計図が、実際にどう制度になっていったのか。そして、その福祉国家がわずか30年ほどで見直しを迫られていく・・・完成と見直し、両方の流れを一気に見ていきましょう。
①福祉国家の完成→貧困の再発見
第二次世界大戦が終わった1945年、イギリスでは労働党のアトリー政権が誕生します。この政権のもとで、ベヴァリッジ報告の内容が次々と法律になっていきました。
1946年に国民保健サービス法、1948年からNHS(国民保健サービス)が開始。そして同じ1948年、国民扶助法が制定されます。この国民扶助法によって、エリザベス救貧法から約347年続いた救貧法は、ついに廃止されました。
「ゆりかごから墓場まで」と呼ばれた福祉国家イギリスが、ここに完成しました。そして、1948年、国民扶助法の制定により救貧法が廃止されました。
こうして、エリザベス救貧法から続いた「貧民を選別する時代」は終わり、「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家が完成しました。ですが、これで貧困が本当になくなったわけではありませんでした。1960年代、イギリスではエイベル=スミスとタウンゼントが『貧者と極貧者』(1965年)の中で、福祉国家が完成したはずの国に、実はまだ貧困が残っていることを指摘します。「貧困の再発見」です。
同じ頃、遠く離れたアメリカでも、ハリントンの『もう一つのアメリカ』(1962年)等で「貧困の再発見」が取り上げられていました。その結果パールマンは「ケースワークは死んだ」という表現で、ケースワークの在り方について、再検討しています。
イギリスとアメリカ、制度も背景も全く違う二つの国で、ほぼ同じ時期に同じ壁にぶつかっていた。貧困の根絶が、どれほど難しい課題かということですね。
イギリスとアメリカ、それぞれの流れはこちらで詳しく整理しています。


②窓口の分立と、報告書の時代へ(1968年〜1988年)
福祉国家は完成しましたが、20年ほど運営してみると、現場に問題が見えてきます。高齢者・児童・障害者といった対象ごとにサービスが縦割りに分立していて、住民はたらい回しにされる。1973年の石油危機で財政も苦しくなる。
こうした「困りごと」に応えるために、1968年のシーボーム報告を皮切りに、エイブス報告、ウルフェンデン報告、バークレイ報告、グリフィス報告と、次々に報告書が出されていきます。5つの報告書の中身は、こちらで一つずつ整理しています。

ポイントは、完成した福祉国家を「どう運営し、どう見直すか」を考え続けた20年間だった、ということですね。
③サッチャーの登場(1979年〜)
石油危機をきっかけに、「国はこのまま福祉を支えきれるのか」という問いが、先進国共通の課題として突きつけられました。いわゆる「福祉国家の危機」です。
そして1979年、「国家の役割を小さくし、市場に任せる」ことを掲げたサッチャー政権が誕生します。国有企業の民営化、社会保障の見直し。福祉国家を作った国が、福祉国家を削る側に回った瞬間です。
④ブレアの「第三の道」(1997年)
サッチャー流の小さな政府が格差の拡大を招いたという批判の中、1997年に登場したのがブレア政権です。大きな政府にも小さな政府にも寄らない「第三の道」を掲げ、市場の効率性を活かしながら、教育や雇用への公的投資で「機会の平等」を保障する路線をとりました。
サッチャーとブレアの視点の違いについては、人名シリーズで詳しく解説しています。

エリザベス救貧法から400年近く。「国家がどこまで面倒を見るべきか」という問いは、形を変えながら、今もなお続いています。
すっきり整理表
| 年代 | 出来事 |
|---|---|
| 1945〜48年 | 福祉国家の完成(アトリー政権・NHS・国民扶助法・救貧法廃止) |
| 1968〜88年 | シーボーム〜グリフィスの5つの報告書 |
| 1979年 | サッチャー政権誕生(新自由主義) |
| 1997年 | ブレア政権誕生(第三の道) |
これで、エリザベス救貧法(1601年)から、約400年の流れがつながりました。
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