人名シリーズ①セツルメントは誰が作った?トインビーホール・ハルハウス・キングスレー館

地域福祉と包括的支援体制

どうしても勉強がはかどらない日、過去問を開く気持ちになれない時がありますよね。そういう日、「今日はやめた」と1日休むのもいいのですが、私はそういう時こそ、人名等に絞って勉強することをおすすめしたいです。

まずはセツルメントとは

まず、大きな流れを確認します。

セツルメントのもとの意味は「移住」(移り住む)です。理想主義的な宗教家・大学教授・学生が自ら貧民街に移り住んで、共同生活し、貧民の教化及び貧民の生活向上のための助力をする、という意味です。

今日、覚えてほしいのが上の6人です。順番に並べると、以下の通りです。国の名前も確認を!

イギリス:トインビーホール(設立したのはバーネット夫妻)
ここからアメリカ:ネイバーフッドギルド(コイト)→ハルハウス(ジェーンアダムス)
ここから日本:現在の岡山博愛会(アリス・ペティー・アダムス)→キングスレー館(片山潜)


1884年、サミュエル・バーネット(Samuel Barnett)夫妻を中心に、アーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)を記念してロンドンの東部貧民街に建てられた「トインビー・ホール」は、世界最初のセツルメントであり、その後世界各地に設けられたセツルメントのモデルになりました。つまり、トインビーホールの創設者はバーネット夫妻。世界最初のセツルメントとして、後のハルハウスなど各国のセツルメント運動のモデルになった施設です。

ノーベル平和賞を受賞したジェーン・アダムス(Jane Addams)は、1889年にシカゴでハル・ハウスを開設し、アメリカでのセツルメント運動を高めました。

日本でのセツルメント運動は、1891年のアリス・アダムスによる岡山博愛会、あるいは1897年の片山潜による「キングスレー館」からはじまったといわれています。

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トインビーホール|アーノルド・トインビー、バーネット夫妻

トインビーホールを作ったのは、バーネット夫妻です。トインビーの遺志を継いで、彼の名前を冠した施設として設立しました。

有名な医師の息子として生まれたトインビーですが、体が大変弱く、30歳で亡くなっています。

オックスフォード大学に入学後、講師として講義を行いつつ、イギリスの「救貧法管理委員会」等で活動しました。この救貧法委員会に携わったこともあり貧困問題に大きな関心を寄せていましたが、貧困の解決には「労働者教育と意識の向上」が不可欠だと考え、22歳の頃からロンドンのイーストエンド地域に移り住んで活動を行っています。

しかし志半ばでトインビーは亡くなってしまい、自分の手でセツルメント施設を作ることができませんでした。その後、彼の運動を引き継いだバーネット夫妻の手によって、彼の名前に由来した「トインビーホール」がロンドンに設立されることになりました。

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ネイバーフッド・ギルド|スタントン・コイト

トインビーホールの影響は、まずアメリカに渡ります。スタントン・コイトは、トインビーホールに滞在した経験をもとに、1886年、ニューヨークに「ネイバーフッド・ギルド」を設立しました。アメリカ最初のセツルメントです。

ハルハウスより、こちらが3年早いので、問題を解くときは「アメリカ初の」「ニューヨーク」というキーワードの有無を確認して解答しましょう。「アメリカ最初=コイトのネイバーフッド・ギルド」ここが過去問で入れ替えられるポイントです。

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ハルハウス|ジェーン・アダムス

私、勉強するまでアダムスはなぜか男性だと思い込んでいたんです。ジェーン・アダムスという名前をみて、あ、女性だったんだ!と思ったのを、今でもよく覚えています。

アダムスは友人だったエレン・ゲーツ・スターとヨーロッパ旅行をした時に、ロンドンでトインビーホールを訪れ、この体験が後のイリノイ州シカゴのハルハウスの設立につながったそうです。
こちらは「シカゴ」の「ハルハウス」です

ハルハウス(シカゴ) 出典:Wikimedia Commons(パブリック・ドメイン)

ジェーン・アダムス(1860-1935) 出典:Wikimedia Commons(パブリック・ドメイン)

ハルハウスでは、ヨーロッパ諸国からの移民、アフリカ系米国人やメキシコ人が対象となり、大人のための夜間学校、公共の食堂、ジム、図書館、働く母親のための保育所、労働組合の集会所などを提供していました。

ハルハウスの特徴としては、移民に対してその価値を尊重するプログラムを作ろうとしたこと、児童労働問題・非行防止等、児童福祉分野を含んでいたこと、労働運動にも着手していたこと、女性たちによる活動であったことが挙げられます。ジェーン・アダムスは亡くなるまでハルハウスで生活し、働いていたそうです。

岡山博愛会|アリス・ペティー・アダムス

日本初のセツルメントを実施したのが宣教師アリス・ペティー・アダムスです。花畑地区の子どもたちとクリスマス会を持ち、日曜学校を開始したのが、日本最初のセツルメントです。

アダムスはアメリカ・ニューハンプシャー州の出身。宣教師の派遣団体アメリカン・ボードから派遣され、1891年、25歳で岡山にやってきました。ハルハウスのジェーン・アダムズと同じ名字ですが、別人です。

活動の場に選んだのは、岡山市の花畑地区という貧しい地区でした。クリスマス会と日曜学校から始まった活動は、私立の小学校、裁縫の夜学校、そして無料の施療所へと、どんどん広がっていきます。教育から職業訓練、医療まで・・・貧しい人々の生活をまるごと支える総合的な事業でした。この施療所は、後の岡山博愛会病院へと発展しています。

アダムスが岡山で活動した期間は、45年間。病を得て1936年(昭和11年)に帰国し、翌年亡くなりました。岡山孤児院の石井十次、留岡幸助、山室軍平とともに「岡山四聖人」と呼ばれています。

キングスレー館|片山潜

片山潜は、現在の岡山大学教育学部に入学しますが、退学後上京し、アメリカ合衆国へわたっています。その理由が「アメリカは貧乏でもやる気さえあれば勉強できる場所だ」と言われたからだというのですから、すごい行動力です。

片山潜(1859-1933) 出典:Wikimedia Commons(パブリック・ドメイン)

サンフランシスコの小さな村で皿洗いをして働いたり、コックとして住み込みで働いたりしていましたが、その後キリスト教会に通い英語とキリスト教を学び始め、洗礼を受けます。アメリカで西洋古典学の学位を修めて帰国しました。帰国後は牧師になりたかったようですが、その夢はかないませんでした。

しかしセツルメント運動に共感し、宣教師の支援を受けながら友人とともに神田にある自宅を改良し、日本人初のセツルメント施設である「キングスレー館」を設立しています。一方で、労働運動に尽力したことでも有名です。

過去問を確認しましょう

第33回・問題94(相談援助の基盤と専門職)

19世紀末から20世紀初頭のセツルメント活動に関する次の記述のうち、正しいものを1つ選びなさい。

1 バーネット(Barnett, S.)が創設したトインビーホールは、イギリスにおけるセツルメント活動の拠点となった。
2 コイト(Coit, S.)が創設したハル・ハウスは、アメリカにおけるセツルメント活動に大きな影響を及ぼした。
3 石井十次が創設した東京神田のキングスレー館は、日本におけるセツルメント活動の萌芽となった。
4 アダムス(Addams, J.)が創設したネイバーフッド・ギルドは、アメリカにおける最初のセツルメントであった。
5 片山潜が創設した岡山孤児院は、日本におけるセツルメント活動に大きな影響を及ぼした。

正答 1

1 →〇
2 →× コイトが創設したのはネイバーフッド・ギルド。ハル・ハウスはアダムス
3 →× 石井十次が創設したのは岡山孤児院。キングスレー館は片山潜
4 →× アダムスが創設したのはハル・ハウス。ネイバーフッド・ギルドはコイト
5 →× 片山潜が創設したのはキングスレー館。岡山孤児院は石井十次


第38回・問題43(地域福祉と包括的支援体制)

国内外のセツルメントの歴史に関する次の記述のうち、適切なものを2つ選びなさい。

1 バーネット(Barnett, S.)がトインビー・ホール(ロンドン)を設立した当初、主に活動したのは外部から移り住んだ大学の卒業生達であった。
2 アダムス(Addams, J.)がハル・ハウス(シカゴ)を設立した当初、ヨーロッパからの移民が集住する地域で学習機会提供を含む様々な支援活動が展開された。
3 岡山博愛会は、社会階層の高い住民の割合が大きい地域の中で、排除された人々が気軽に立ち寄り交流する場を提供した。
4 キングスレー館は、1924年(大正13年)の関東大震災を契機として、東京帝国大学セツルメントの関係者によって設立された。
5 我が国の隣保事業は、明治後期に同和対策事業として、政府による公設セツルメントとして始まった。

正答 1・2

1 →〇
2 →〇
3 →× 岡山博愛会(A.P.アダムス)が活動したのは貧困地域
4 →× キングスレー館は1897年に片山潜が設立。関東大震災を契機とするのは東京帝国大学セツルメント
5 →× 隣保事業は同和対策事業として始まったものではない

この記事は「頻出!合格のために必ず覚えておきたい人名シリーズ」の一つです。

他の回はこちらから→人名シリーズ一覧


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