イギリス福祉国家の骨格を作った2人
今回はウェッブ夫妻とベヴァリッジを扱います。ベヴァリッジは、ウェッブ夫妻が示した考え方を受け継いだだけでなく、若い頃にビアトリス・ウェッブから官僚や大学関係者を紹介してもらい、1908年に商務省に職を得ています。実際に世話になった相手だったという関係ごと覚えておくと、2人の主張が重なっている理由がわかります。
あわせて、社会保険という仕組みそのものを世界で最初に作ったビスマルクも取り上げます。記事の後半で、実際に出題された過去問を3問読みます。
ウェッブ夫妻|ナショナル・ミニマムと少数派報告
シドニー・ウェッブとビアトリス・ウェッブの夫妻は、社会主義団体「フェビアン協会」の中心にいた人物で、協会の主張を調査と著作にまとめました。フェビアン協会は、革命によってではなく、議会政治を通じた漸進的な社会改革を掲げた団体です。漸進的とは、一気にではなく少しずつ段階を踏んで進めることをいいます。この考え方をフェビアン社会主義といいます。
夫妻の代表的な業績が、1897年に『産業民主制論』で示した「ナショナル・ミニマム」です。国が国民に保障すべき最低限の生活水準という考え方で、賃金だけでなく、衛生・安全、労働時間、教育まで含む幅の広いものでした。
もう一つが、1905年から1909年にかけて開かれた救貧法王立委員会でまとめられた「少数派報告」(1909年)です。「多数派報告」は、慈善組織協会(COS)の考え方に立って、民間の活動を中心としながら、救貧法を部分的に改良することを主張しました。これに対してビアトリス・ウェッブは、貧困は本人の道徳的な欠陥によるものではなく社会の側に原因があると捉え、救済に値する貧民と値しない貧民を分けるCOSの考え方と、労働能力の有無で救済に差をつけることを批判した少数派報告をまとめました。
この多数派報告と少数派報告の対立は、平行棒理論と繰り出し梯子理論という形で整理されています。COSが主張したのが平行棒理論、ウェッブ夫妻が主張したのが繰り出し梯子理論です。
平行棒理論と繰り出し梯子理論についての記事はこちら
→平行棒理論と繰り出し梯子理論|公的な救済と民間慈善事業の関係を整理する
少数派報告をまとめた時には、ナショナルミニマム保障すべきという考え方は採用されませんでしたが、のちの社会保険制度とベヴァリッジ報告に受け継がれていきます。
ベヴァリッジ|「ゆりかごから墓場まで」
ウェッブ夫妻から多くを学んだベヴァリッジは、1942年に「ベヴァリッジ報告」(『社会保険及び関連サービス』)を発表しました。戦後のイギリス福祉国家の設計図にあたるものです。
ベヴァリッジ報告は、欠乏・疾病・無知・不潔・無為という5つの巨悪を挙げ、これに対して社会保険・国民扶助・任意保険という3つの方法を組み合わせた社会保障計画を示しました。中心に置かれたのは社会保険で、国民扶助はそれを補うものと位置づけられています。
ウェッブ夫妻が示したナショナル・ミニマムは、国が国民に保障すべき水準という考え方でした。ベヴァリッジは、その水準を社会保険を中心とする制度でどのように実現するかを設計しました。ウェッブ夫妻が保障すべき水準を示し、ベヴァリッジがそれを実現する仕組みを作った、という順序になります。
5つの巨悪の訳語は試験によって違います。第33回問題25と第35回問題24では「欠乏・疾病・無知・不潔・無為」、第34回問題26では「窮乏」(want)という語が使われています。
ビスマルク|世界で最初の社会保険
ベヴァリッジ報告の中心が社会保険だったと聞いたときに、あわせて思い出しておきたいのがドイツの宰相ビスマルクです。
ビスマルクは1883年に、世界で最初の社会保険制度である疾病保険法を制定しました。続いて1884年に災害保険法、1889年に養老・廃疾保険法を制定しています。同じ時期に社会主義者鎮圧法によって社会主義運動を弾圧していたため、この2つをあわせて「アメとムチの政策」と呼びます。
ウェッブ夫妻がナショナル・ミニマムを示したのが1897年、ベヴァリッジ報告が1942年ですから、ビスマルクはその半世紀前に、社会保険という仕組み自体を先に作っていたことになります。
国家試験を解いてみましょう
第32回問題25
「ベヴァリッジ報告」に関する次の記述のうち,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 福祉サービスの供給主体を多元化し,民間非営利団体を積極的に活用するように勧告した。
2 従来の社会民主主義とも新自由主義とも異なる「第三の道」路線を選択するように勧告した。
3 ソーシャルワーカーの養成・研修コースを開設して,専門性を高めるように勧告した。
4 衛生・安全,労働時間,賃金,教育で構成されるナショナル・ミニマムという考え方を示した。
5 社会保障計画は,社会保険,国民扶助,任意保険という三つの方法で構成されるという考え方を示した。
解説
正解は5です。
1 × 福祉サービスの供給主体の多元化を示したのはウルフェンデン報告です。
2 × 「第三の道」を掲げたのはブレアで、理論を作ったのはギデンズです。
3 × ソーシャルワーカーの養成と研修について勧告したのはシーボーム報告です。
4 × このナショナル・ミニマムを示したのはウェッブ夫妻です。
5 ○ ベヴァリッジ報告は、社会保険・国民扶助・任意保険の3つを組み合わせた社会保障計画を示しました。
第35回問題23
福祉に関わる思想や運動についての次の記述のうち,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 バーリン(Berlin, I.)のいう積極的自由とは,自らの行為を妨げる干渉などから解放されることで実現する自由を意味する。
2 ポジティブ・ウェルフェアは,人々の福祉を増進するために,女性参政権の実現を中心的な要求として掲げる思想である。
3 1960年代のアメリカにおける福祉権運動の主たる担い手は,就労支援プログラムの拡充を求める失業中の白人男性たちであった。
4 フェビアン社会主義は,ウェッブ夫妻(Webb, S. & B.)などのフェビアン協会への参加者が唱えた思想であり,イギリス福祉国家の形成に影響を与えた。
5 コミュニタリアニズムは,家族や地域共同体の衰退を踏まえ,これらの機能を市場と福祉国家とによって積極的に代替するべきだとする思想である。
解説
正解は4です。
1 × 干渉から解放されることで実現する自由は、バーリンのいう消極的自由です。
2 × ポジティブ・ウェルフェアは、ギデンズが唱えた、人が働き学べるようにする福祉の考え方です。
3 × 1960年代のアメリカの福祉権運動を担ったのは、公的扶助を受給する黒人女性たちが中心でした。
4 ○ フェビアン協会は議会政治を通じて少しずつ社会を変えることを掲げ、イギリス福祉国家の形成に影響を与えました。
5 × コミュニタリアニズムは、家族や地域共同体が持つ機能を重視する立場です。市場と福祉国家がこれを代替すべきだとはしていません。
第28回問題24
イギリスにおける貧困対策の歴史に関する次の記述のうち,正しいものを 1 つ選びなさい。
1 新救貧法(1834年制定)は,劣等処遇の原則を否定した。
2 慈善組織協会(COS,1869年設立)は,救済に値する貧民に対する立法による救済を主張した。
3 ブース(Booth, C.)は,ロンドン貧困調査から「貧困線」という概念を示した。
4 老齢年金法(1908年成立)は,貧困高齢者に,資力調査なしで年金を支給した。
5 ウェッブ夫妻(Webb, S. & B.)は,「社会保障計画」を提唱した。
解説
正解は3です。
1 × 新救貧法は劣等処遇の原則を導入しました。
2 × 慈善組織協会は、救済に値する貧民を民間の慈善事業が担うべきだと考えました。立法による救済を主張したものではありません。
3 ○ ブースはロンドンで貧困調査を行い、貧困線という考え方を示しました。
4 × 老齢年金法は無拠出でしたが、支給にあたって所得の調査が行われました。
5 × 社会保障計画を示したのはベヴァリッジです。ウェッブ夫妻が示したのはナショナル・ミニマムです。
原理と政策で出題される人名はこちらの記事でほぼ網羅しています。
mapをご確認ください。

必ず覚えておきた人名はこちらからご覧ください。



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