ブースとラウントリーの貧困調査
19世紀末、ブースとラウントリーは、それぞれロンドンとヨーク市で貧困調査を行い、貧困を初めて科学的に測定しました。
この2つの調査が明らかにした一番大切なことは、貧困率の数字そのものよりも、貧困の原因が個人の怠惰や浪費ではなく、雇用や賃金といった社会経済的な要因にあるということでした。
ブース|貧困地図
ブースは、1886年から1902年にかけてロンドンで貧困調査を実施し、「貧困線」の概念を導入しました。調査の結果、ロンドン市民の約3割が貧困線以下の生活を強いられていることを明らかにしています。
この調査を通じてブースが示した最も重要な結論は、貧困の主な原因が個人の問題ではなく、雇用や環境の問題にあるということでした。
もう一点押さえておきたいのが、貧困地区の分布を示した「貧困地図」を作成したという点です。第37回の社会調査の科目で出題されています。
ラウントリー|第一次貧困と第二次貧困
ラウントリーは、ヨーク市で貧困調査を行い、マーケットバスケット方式という手法を用いました。
マーケットバスケット方式とは、生活に必要な飲食物や衣類、家具などの品目を1つ1つ積み上げて、最低限の生活費を算出する方法です。買い物カゴ(マーケットバスケット)に必要なものを入れていくイメージから、この名前がついています。
この方式は、日本の生活保護の基準額を算定する方式として、1948年から1960年まで実際に採用されていました。その後エンゲル方式、格差縮小方式を経て、現在は水準均衡方式に移り変わっています。
→生活扶助基準の設定方式の歴史|マーケット・バスケット方式から水準均衡方式まで
ラウントリーはこの方式を使い、貧困を2段階に分類しました。
| 第一次貧困 | 総収入が、肉体的能率を維持するのにも足りない状態。主な原因は雇用問題 |
| 第二次貧困 | 肉体的能率はギリギリ維持できるが、それ以外の支出(娯楽など)ができない状態。主な原因は飲酒などの浪費 |
ここでもブースと同じく、貧困の原因が個人の怠惰ではなく、社会経済的な要因、特に第一次貧困は雇用問題にあることを実証した点が、本質的な功績です。
過去問を確認しましょう
第37回問題79(社会福祉調査の基礎)
ブース(Booth, C.)のロンドン調査に関する次の記述のうち,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 ロンドン市民の人口統計の作成が目的だった。
2 調査対象となった市民の自宅へ調査票を配布する郵送調査だった。
3 当時のロンドン市民の一部を調査対象とする標本調査だった。
4 貧困の主たる原因が,個人的習慣であることを明らかにした。
5 ロンドンの街を経済階層で色分けした貧困地図を作成した。
解説
正答は5です。
1→× 目的は人口統計の作成ではなく、貧困の実態を明らかにすることでした。
2→× 郵送調査ではありません。学校の担当官への聞き取りなどを用いています。
3→× 一部を抽出する標本調査ではありません。
4→× ブースが明らかにしたのは、貧困の主な原因が個人的習慣ではなく、雇用や環境の問題にあるということでした。
5→○ 記述のとおりです。
第34回問題26(現代社会と福祉)
選択肢の一部を抜粋します。
ラウントリー(Rowntree, B.)は,ロンドンで貧困調査を行い,貧困の主たる原因が飲酒や浪費のような個人的習慣にあると指摘した。
解説
→× 2か所が誤りです。ラウントリーが貧困調査を行ったのはロンドンではなくヨーク市です。また、貧困の主たる原因が個人的習慣にあるという指摘もしていません。飲酒などの浪費が原因になるのは第二次貧困で、第一次貧困の原因は雇用問題です。
第37回問題22(社会福祉の原理と政策)
「持続可能な開発目標」(SDGs)がターゲットとしている「極度の貧困」の参照基準として,最も適切なものを 1 つ選びなさい。
1 ラウントリー(Rowntree, B.S.)が貧困調査で使用した「第 1 次貧困」
2 経済協力開発機構(OECD)で使用される「相対的貧困率」
3 国連開発計画(UNDP)で使用される「人間開発指数」
4 世界銀行で使用される「国際貧困線」
5 タウンゼント(Townsend, P.)が貧困調査で使用した「相対的剥奪指標」
解説
正答は4です。
SDGsの極度の貧困と国際貧困線については、こちらで確認できます。
→絶対的貧困と相対的貧困|SDGsの極度の貧困は国際貧困線
1→× 第1次貧困はラウントリーがヨーク市の調査で用いた基準で、SDGsの参照基準ではありません。
2→× 相対的貧困率は、その社会の中央値との比較で測る指標です。極度の貧困の基準ではありません。
3→× 人間開発指数は、平均寿命や教育、所得から人間開発の度合いを測る指標です。
4→○ 記述のとおりです。
5→× 相対的剥奪指標はタウンゼントが用いたものですが、極度の貧困の参照基準ではありません。
この後どうなったか
2人の調査は、貧困が個人の責任ではないことを示しました。この認識が、後の福祉国家の形成につながっていきます。
ところが戦後、制度が整って貧困は解決したと思われていた1960年代に、貧困は再び「発見」されます。
→貧困の再発見(エイベル=スミス・タウンゼント)|相対的剥奪とは
→貧困を「発見」した4人|ブース・ラウントリーから、貧困の再発見へ


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