記事の内容から作った65問
この65問は、日本の福祉の歴史①から⑥の記事の内容をもとに作った○×問題です。過去問で問われた事項を別の角度から問う問題に加えて、過去問では出題されていない記事の内容も入れています。過去問の記述をそのまま○×にした65問についての記事はこちら
→日本の福祉の歴史の一問一答(65問)|恤救規則・救護法・福祉三法・基礎構造改革
恤救規則
1 恤救規則は、身寄りのない極貧の者のうち、70歳以上で重病または老衰の者を救済の対象とした。
○ 恤救規則の対象は極貧の独身者で、障害があって働けない者、70歳以上で重病または老衰の者、病気で働けない者、13歳以下の者に限られていました。
2 恤救規則では、極貧であれば、同居する家族がいる者も国による救済の対象とされた。
× 恤救規則の対象は、身寄りのない独身者に限られます。家族がいる場合は、家族が面倒を見るのが基本とされました。
3 恤救規則による救済は、救貧施設への収容によって行われた。
× 恤救規則の給付は、米代としての金銭です。第38回問題97で出題。
4 恤救規則は、制定から10年ほどで救護法に引き継がれた。
× 恤救規則は、1874年(明治7年)の制定から1929年(昭和4年)の救護法の制定まで、半世紀以上にわたって救貧の基本であり続けました。
明治期の慈善事業家
5 石井十次は、知的障害児の教育を目的として岡山孤児院を設立した。
× 岡山孤児院は孤児救済の施設です。濃尾地震や東北の凶作で親を失った子どもたちを受け入れました。日本で最初の知的障害児のための施設は、石井亮一の滝乃川学園です。第35回問題25で出題。
6 石井亮一が設立した滝乃川学園は、濃尾地震の孤児を保護する孤女学院として始まった。
○ 孤女学院の中に知的障害のある子がいたことから、石井亮一は知的障害児の教育へと進みました。
7 留岡幸助は、非行少年は厳しく懲らしめることで更生させるべきだと考えた。
× 留岡幸助は、懲らしめるのではなく、家庭的な環境で教育すべきだと考えました。
8 山室軍平が中心となった救世軍は、廃娼運動に取り組んだ。
○ 救世軍はイギリスで生まれたキリスト教の団体で、廃娼運動(公娼制度をなくす運動)や生活困窮者の支援を進めました。第35回問題25で出題。
9 留岡幸助は、監獄の教誨師(きょうかいし)としての経験から、非行少年を家庭的な環境で教育する必要があると考えた。
○ 罪を犯した人の多くが少年期に不遇な環境にあったことに気づき、1899年(明治32年)に東京の巣鴨に家庭学校を設立しました。第35回問題25で出題。
セツルメント・感化法・中央慈善協会
10 二葉幼稚園は、裕福な家庭の子どもを対象とした幼児教育の施設として設立された。
× 二葉幼稚園は、野口幽香と森島峰が1900年(明治33年)に設立した、貧しい家庭の子どもたちのための幼児教育の施設です。保育事業の先駆けとなりました。第35回問題25で出題。
11 岡山博愛会は、石井十次が開設したセツルメントである。
× 岡山博愛会を開設したのはアダムスです。
12 キングスレー館は、片山潜が開設したセツルメントである。
○ 明治期には、アダムスの岡山博愛会、片山潜のキングスレー館がセツルメントとして活動しています。
13 感化法は、非行少年を懲罰によって更生させることを目的として制定された。
× 感化法は、非行少年を懲罰ではなく感化院で教育する仕組みです。1900年(明治33年)に、留岡幸助らの感化事業を背景に制定され、道府県に感化院の設置を求めました。
14 中央慈善協会の初代会長は、石井十次である。
× 初代会長は渋沢栄一です。中央慈善協会は1908年(明治41年)に、各地の慈善事業を連絡・調整する組織として設立されました。現在の全国社会福祉協議会のルーツにあたります。第37回問題20で出題。
済世顧問制度・方面委員制度と民生委員
15 米騒動は、大阪府で方面委員制度が設置されたのと同じ年に起こった。
○ どちらも1918年(大正7年)です。前年の1917年に、岡山県で済世顧問制度が創設されています。
16 小河滋次郎は、岡山県の済世顧問制度の立案の中心となった。
× 小河滋次郎が立案の中心となったのは、大阪府の方面委員制度です。済世顧問制度を創設したのは、岡山県知事の笠井信一です。第30回問題31で出題。
17 内務省に社会局が置かれたのは、米騒動の2年後である。
○ 米騒動は1918年(大正7年)、内務省社会局の設置は1920年(大正9年)です。第30回問題24で出題。
18 岡山県の済世顧問制度は、大阪府の方面委員制度にならって創設された。
× 済世顧問制度の創設は1917年、方面委員制度の設置は1918年です。順序が逆です。第34回問題25で出題。
19 方面委員制度は、方面委員令によって全国の制度となった。
○ 方面委員制度は1918年に大阪府で始まり、1936年(昭和11年)の方面委員令によって全国の制度になりました。第30回問題31で出題。
20 旧生活保護法において、民生委員は保護の実施機関とされた。
× 旧生活保護法で、民生委員は補助機関とされました。第33回問題33で出題。
21 1950年(昭和25年)に制定された生活保護法において、民生委員は補助機関とされた。
× 1950年の生活保護法で、民生委員は協力機関とされました。補助機関とされたのは旧生活保護法です。第33回問題33で出題。
世界恐慌と救護法
22 世界恐慌が波及した日本の農村では、米や繭の価格が高騰した。
× 米や繭の価格は暴落しました。欠食児童や身売りが社会問題になるほど、困窮が広がりました。
23 救護法は1929年(昭和4年)に制定されたが、財政上の理由から施行は1932年(昭和7年)まで先延ばしにされた。
○ 第33回問題33で出題。
24 救護法の施行を求める運動の中心となったのは、石井十次であった。
× 救護法の施行を求める運動の中心となったのは、方面委員です。第33回問題33で出題。
25 救護法は、都道府県を実施の主体とした。
× 救護法は、市町村を実施の主体とする公的扶助義務主義を採用しました。第34回問題25で出題。
26 救護法は、70歳以上の老衰者を救護の対象とした。
× 救護法の対象は65歳以上の老衰者です。70歳以上としていたのは恤救規則です。第38回問題97で出題。
27 救護法が対象とした幼者の年齢は、恤救規則と同じく13歳以下であった。
○ 恤救規則も救護法も、13歳以下の幼者を対象としています。
28 要救護者の保護請求権が初めて法律で認められたのは、救護法である。
× 救護法は、要救護者による保護請求権を認めていません。保護請求権が認められたのは1950年の生活保護法です。第34回問題25で出題。
戦時体制と社会事業
29 社会事業法が制定された年に、厚生省が設置された。
○ どちらも1938年(昭和13年)です。
30 厚生省は、日中戦争が始まる前に設置された。
× 日中戦争の開始は1937年(昭和12年)、厚生省の設置は1938年(昭和13年)です。
31 国家総動員法は、太平洋戦争の開戦を受けて制定された。
× 国家総動員法は、日中戦争開始の翌年の1938年(昭和13年)に制定されました。
32 戦時厚生事業では、傷痍軍人や軍人の遺家族への援護が進められた。
○ 人的資源論に基づく生産力・軍事力の観点から、社会事業は戦時厚生事業へと再編されました。第34回問題25で出題。
敗戦直後の緊急対応
33 生活困窮者緊急生活援護要綱は、GHQの指令を受けて閣議決定された。
○ 1945年(昭和20年)12月、GHQの指令(SCAPIN404号)を受けて閣議決定されました。宿泊や給食などの現物給付、生業のあっせんなどを行いました。第38回問題97で出題。
34 生活困窮者緊急生活援護要綱は、引揚者を援護の対象から除外していた。
× 対象は、戦災者、引揚者、失業者とその家族を含む生活困窮者全般です。第38回問題97で出題。
35 旧生活保護法は、日本国憲法第25条の生存権の理念に基づいて制定された。
× 旧生活保護法は、欠格条項を残した、応急的な性格の強い法律でした。生存権の理念を受けて制定されたのは、1950年の生活保護法です。
36 旧生活保護法は、要保護者の保護請求権を明記した。
× 保護請求権と不服申立ての権利が明記されたのは、1950年の生活保護法です。旧生活保護法には、勤労を怠る者などを保護の対象から除外する欠格条項もありました。第38回問題97で出題。
福祉三法と福祉六法
37 福祉三法とは、児童福祉法、身体障害者福祉法、生活保護法をいう。
○ 1947年(昭和22年)の児童福祉法、1949年(昭和24年)の身体障害者福祉法、1950年(昭和25年)の生活保護法です。
38 福祉三法のうち、最も早く制定されたのは身体障害者福祉法である。
× 最も早く制定されたのは、1947年(昭和22年)の児童福祉法です。
39 1950年代に福祉六法体制になった。
× 精神薄弱者福祉法が1960年(昭和35年)、老人福祉法が1963年(昭和38年)、母子福祉法が1964年(昭和39年)で、福祉六法体制が整ったのは1960年代です。
40 精神薄弱者福祉法は、現在の精神保健福祉法(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)にあたる。
× 精神薄弱者福祉法は、現在の知的障害者福祉法です。
41 老人福祉法は、介護を必要とする老人を対象に制定された。
○ 対象は老人一般で、介護を必要とする老人に限られていません。第35回問題26で出題。
42 母子福祉法は、老人福祉法より先に制定された。
× 老人福祉法が1963年(昭和38年)、母子福祉法が1964年(昭和39年)です。
国民皆保険と福祉元年
43 国民皆保険・皆年金は、国民年金法が制定された年に実現した。
× 国民年金法の制定は1959年(昭和34年)、国民皆保険・皆年金の実現は1961年(昭和36年)です。
44 国民皆保険の実現に先立ち、国民健康保険法が全面改正された。
○ 国民健康保険法の全面改正は1958年(昭和33年)です。
45 福祉元年には、年金の物価スライド制が導入された。
○ 1973年(昭和48年)に、年金の給付水準が大幅に引き上げられ、物価スライド制が導入されました。
46 第一次石油危機(オイルショック)は、福祉元年の翌年に起こった。
× 第一次石油危機は、福祉元年と同じ1973年(昭和48年)の10月に起こりました。
47 1973年(昭和48年)の老人医療費の無料化は、老人保健法の制定によって行われた。
× 老人医療費の無料化は、老人福祉法の改正によって行われました。1982年(昭和57年)の老人保健法は、無料化を見直して一部自己負担を導入した法律です。第34回問題49で出題。
オイルショックと福祉見直し
48 第一次石油危機(オイルショック)は、第四次中東戦争をきっかけに起こった。
○ 原油価格が急騰し、狂乱物価と呼ばれる急激なインフレが起こりました。1974年(昭和49年)には、戦後初めて経済成長率がマイナスになりました。
49 老人保健法は、老人医療費の無料化から約20年後に制定された。
× 無料化は1973年(昭和48年)、老人保健法の制定は1982年(昭和57年)です。10年も経たないうちに見直されました。
50 新経済社会7カ年計画は、西欧型の高福祉高負担の福祉国家を目指すとした。
× 新経済社会7カ年計画は、西欧型の高福祉高負担とは違う日本独自の道として、日本型福祉社会を目指しました。第34回問題22で出題。
51 老人保健法の制定により、老人医療費に一部自己負担が導入された。
○ 第34回問題49で出題。
52 新経済社会7カ年計画は、同居する老親と子の関係を、福祉における含み資産と表現した。
○ 家族の扶養機能を積極的に位置づけました。新経済社会7カ年計画は1979年(昭和54年)に閣議決定され、日本型福祉社会を打ち出しました。
自助・共助・公助
53 社会保障の在り方に関する懇談会の最終報告書(2006年(平成18年))は、公助を基本とし、自助と共助がこれを補完するとした。
× 最終報告書は、自助を基本に、共助が補完し、これらでは対応できない状況に公助で対応するとしました。第38回問題22で出題。
54 「地域包括ケア研究会報告書」(2009年(平成21年))は、自助・互助・共助・公助の4つを示した。
○ 第38回問題22で出題。
55 「地域包括ケア研究会報告書」(2009年(平成21年))は、介護保険などの社会保険を互助に位置づけた。
× 介護保険などの社会保険は、共助に位置づけられています。第38回問題22で出題。
ゴールドプランと福祉関係八法改正
56 ゴールドプラン(高齢者保健福祉推進十か年戦略)は、消費税の導入と同じ年に策定された。
○ どちらも1989年(平成元年)です。
57 ゴールドプランは、特別養護老人ホームなど施設の整備目標を示したもので、在宅サービスは対象としなかった。
× ゴールドプランは、特別養護老人ホーム、ホームヘルパー、デイサービスなど、在宅と施設の両面にわたる整備目標を数値で示しました。
58 新ゴールドプランは、ゴールドプランの整備目標を引き下げた。
× 1994年(平成6年)の新ゴールドプランは、整備目標をさらに引き上げました。
59 福祉関係八法改正により、それまで都道府県が担っていた措置権限の多くが市町村に移された。
○ 1990年(平成2年)の福祉関係八法改正によって、市町村が福祉サービスの実施主体になりました。
60 福祉関係八法改正は、介護保険法の制定を受けて行われた。
× 福祉関係八法改正は1990年(平成2年)、介護保険法の制定は1997年(平成9年)です。福祉関係八法改正は、ゴールドプランを実行するための法整備として行われました。
介護保険と社会福祉基礎構造改革
61 介護保険制度の導入により、利用者が事業者と契約を結ぶ仕組みから、行政がサービスを決定する措置へと転換した。
× 行政がサービスの種類や提供者を決定する措置から、利用者がサービスを選び、事業者と契約を結ぶ利用契約へと転換しました。方向が逆です。
62 社会福祉基礎構造改革により、社会福祉事業法は社会福祉法に改称・改正された。
○ 2000年(平成12年)の改正で、1951年(昭和26年)の社会福祉事業法の制定以来、約半世紀ぶりの大改正です。
63 ゴールドプラン21は、介護保険法の施行後に策定された。
× ゴールドプラン21の策定は1999年(平成11年)、介護保険法の施行は2000年(平成12年)です。
64 福祉サービスに関する苦情解決の仕組みは、福祉関係八法改正によって整えられた。
× 苦情解決の仕組みが整えられたのは、2000年(平成12年)の社会福祉基礎構造改革です。
65 日常生活自立支援事業は、社会福祉基礎構造改革の当時、地域福祉権利擁護事業という名称であった。
○ 社会福祉基礎構造改革では、福祉サービスの適切な利用を支援する仕組みとして整えられました。
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→日本の福祉の歴史①明治期|恤救規則と慈善事業家たち
→②大正期|済世顧問制度・米騒動・方面委員制度
→③昭和戦前|救護法から戦時厚生事業まで
→④福祉三法から福祉元年・オイルショックまで
→⑤福祉見直し論|新経済社会7カ年計画と日本型福祉社会
→⑥ゴールドプラン・福祉八法改正から基礎構造改革へ
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